ロッテ福浦が今季限りで引退表明!?
ロッテ一筋26年のベテラン福浦和也選手が今シーズンを持って現役を引退すると表明。
そこで今回はロッテの福浦選手についてまとめいこうと思います。
プロ入り前
幼い頃は巨人ファンで、小学校1年生から地元の野球チームに入団し野球を始めます。
中学では入学と共になんとバスケ部に入部します。
しかし僅か半年で野球部に転部し、1年後にはエースになり、3年春には市内の大会で優勝を果たす。
高校では、地元で強豪の習志野市立習志野高校に入学し、最速142キロのストレートとカーブのコンビネーションでエースに登りつめ、さらに“4番”も任される。
2年生の夏には県大会でホームランを放つなど活躍をするも、甲子園には届かずベスト8で終わる。
3年春には練習試合でノーヒット・ノーランを達成しているものの夏の大会では3回戦で敗れる。
そして迎えた1993年のドラフト会議で地元の“千葉ロッテマリーンズ”に投手として7位指名される。
福浦選手はこのドラフト会議で最終指名選手だった。
もし指名されなければ社会人野球に行っていたと話していたそうです。
背番号は支配下登録選手枠70人の最後という扱いから『70』に決まった。
プロ入り後
入団1年目に投手から野手に転向
福浦選手は入団してすぐに肩を故障してしまう。しかしこの故障こそ“転機”になるのだ。
肩を故障してしまいしばらくの間投球練習が行えなかったため、当時の2軍打撃コーチにフリーバッティングを指示される。
そこで快音を連発したため、コーチから『打者に転向』するよう指示をされる。
しばらくの間は投手へのこだわりから拒否をするものの、コーチの必死の説得の末7月から打者に転向する。
だが、いきなり陽の目を浴びる事は無かった。
1年目にはフォームに7試合出場するものの、打率.125本塁打0打点1と振るわなかった。
2年目には徐々に成績が伸び、ファーム76試合に出場し打率.263本塁打5打点23と活躍するものの1軍から声が掛かる事は無かった。
3年目も不調にも悩まされて、1軍での出場は無かった。
迎えたプロ4年目のシーズン。
春季キャンプから近藤監督に目をかけられ、7月5日に初の1軍昇格を果たす。さらにその日の試合で『7番ファースト』で先発出場をし、プロ初安打も記録した。
この年がブレイクの年となり、シーズン終盤には『3番ファースト』に定着する。
その翌年には背番号を“9”に改め、コツコツとヒットを重ねた。
そして昨年9月に史上2番目の高齢となる42歳9ヶ月で“2000本安打”を達成。
今年は2軍打撃コーチも兼任してでの選手としてのラストイヤー。
平成のほとんどのロッテを知っている福浦選手。
エースの涌井選手も「福浦さんを胴上げできるように」と意気込みを語る。
選手として活躍するのが最後になった福浦選手の活躍と、福浦選手のために戦うロッテは果たして今年どんな活躍を見させてくれるのか注目しましょう。
読んでいただきありがとうございました。