ソフトバンク・摂津正投手が現役を引退
ソフトバンクの摂津投手が現役引退を表明しました。
摂津投手はWBC日本代表に選出されるほどのスター選手でした。
今回は簡単に摂津投手の輝かしい功績を振り返って行きましょう。
摂津投手は高校卒業後、JR東日本に入社し東北硬式野球部に入部。
3年目から徐々に頭角を現し、登板機会も増えた。
そして日本選手権東北予選では最優秀選手賞を受賞。
4年目にはチームの大黒柱へと成長。
だが、そこからプロへの道は遠かった。
社会人日本代表に選ばれるなどするがなかなかプロのスカウトから声がかかることはなかった。
それでも腐らず練習を続けてした摂津投手は2008年にソフトバンクから指名を受けた。
しかし摂津投手がプロ入りした時の年齢は26歳。
プロ野球選手の引退の平均年齢は29歳。
いち早く結果を残さないと摂津投手はクビになってしまう。
そのことは本人が一番分かっていたと思う。
そして迎えたプロ1年目。
摂津投手は最高のスタートを切る。
オープン戦での好投が首脳陣の目にとまり、開幕を1軍で迎える。
そして5月8日の埼玉西武ライオンズ戦で中継ぎで登板し、1回と3分の1を無失点に抑えプロ初勝利を飾る。
さらに1年目にして、摂津・ブライアン ファルケンバーグ・馬原の勝利の方程式に選ばれSBMと呼ばれた。
同じ年のオールスターにファン投票で中継ぎ部門で新人唯一選出される。
オールスターの初戦に登板し、中継ぎとして無失点に抑えた。
9月15日にはシーズン63試合に登板しパリーグの新人最多登板記録を更新。
さらに17日には33ホールドを達成し球団新記録を樹立。
最終的にシーズンで70試合に登板。プロ野球の試合は年間で約140試合なのでおよそ半分もの試合に登板したことになる。
そして最優秀中継ぎ賞・新人王を受賞した。
契約更新では3800万円アップの5000万円でサイン。
球団はさらに背番号16に変更することを提案するが、50番で覚えてもらったからということで背番号は変更せず。
ジンクスの2年目。
プロ野球では1年目に活躍した選手はオフの間に各球団が研究をするため、1年目より成績が残せない事が多い。
しかし摂津投手にはそんなことは関係無かった。
昨年同様SBMが大活躍。ソフトバンクの中継ぎ陣は12球団唯一の防御率2点台を記録。
摂津投手は71試合に登板し、稲尾和久以来の2年連続70試合登板を記録しました。
契約更新ではソフトバンク側からは1億円を提示するも、摂津投手は
「3年活躍して1人前なので」
ということで9500万円で契約を更新。
そして3年目。
2年連続で70試合に登板していたため体の状態や疲労が心配されるなか、チームの事情により先発に転向。シーズン前の実践登板では31イニングを1失点を記録。
そしてシーズン14勝をあげ、チームの優勝に貢献した。
年俸も昨年の倍1億9000万円にまでアップした。
4年目は自信初の開幕投手を任されきっちりと勝利をあげた。
ソフトバンクのエースとしてチームを牽引し両リーグ最多の17勝をマーク。
さらに最多勝・最高勝率・沢村賞を受賞した。プロ野球史上初の最優秀中継ぎ賞と沢村賞を獲得した投手になった。
そして年俸も2億9000万円までアップ。
そして5年目にはWBCの日本代表に選出された。
日本は惜しくも3連覇の夢は達成できなかった。
シーズン戦では摂津投手は2年連続の開幕投手で2年連続の白星をあげる。
このシーズンも安定感抜群で勝利数はリーグ2位を記録。
球団も高く評価し、球界最速で4億円まで年俸はアップ。
しかしここから摂津投手は苦しいシーズンが続く。
その翌年こそ開幕でも白星をあげるもシーズン終盤で失点が増え出す。
そして2016年から徐々に成績が落ちていき、2018年でユニフォームを脱ぐことに。
僕自身摂津投手はとても好きな選手のひとりで、独特の投げ方で打者を翻弄する姿はとてもかっこよかったです。
僕が幼い頃に見ていた選手が徐々に引退していく事が寂しいです。
ですが本当に摂津投手はかっこよかったです。
現役生活お疲れ様でした。