ベースボールブログ

野球の競技人口は年々減っていっています。そこで元高校野球児が野球の基礎や様々な野球情報を発信します。

智弁和歌山を全国屈指の強豪校にいた名監督高嶋仁監督勇退

智弁和歌山高校を全国屈指の強豪校にした高嶋監督の勇退について書かれたニュースをみてこの記事を書く事にしました。

 

 

智弁和歌山高校といえばジョックロックという魔曲でも有名な野球の超強豪校。

だが、智弁和歌山高校は創部からずっと強豪校というわけでもない。

そんな智弁和歌山高校を超強豪校にしたのは、間違いなく高嶋監督だ。

甲子園での歴代最多勝利記録をもっている高嶋監督だが、就任直後から勝てていたわけではない。

以前の智弁和歌山は部員も多く、多くの選手がいた。

だが、甲子園には出場することができても甲子園での勝利は遠いものであった。

そこで高嶋監督は考え、少数精鋭にすることを決意。

智弁和歌山といえば一学年10人しかいないというには有名な話だがこれは甲子園で勝てない経験から生まれたものだ。

今の強豪校ではよくある、野球推薦で入学しか人しか野球部に入部できない制度を高嶋監督が実践。

そうすることで一人一人にしっかり、熱意をもって教育できるとのこと。

これは友人に聞いた話なので本当か分からないが、高嶋監督は本当に厳しく練習中にパイプいすが飛ぶこともあったり。

智弁和歌山の練習風景の動画は何本もあり、その動画をみてもとても厳しいチームだと思います。

でも、そこらのただ厳しい監督ではないのが高嶋監督。

高嶋監督は普通選手がする、草抜きやグラウンド整備を自分でもするそうだ。

これは、時間を大切にする高嶋監督ならではの考えで、

草抜きは他の人でもできる。そんな暇があったら練習せい

こんなことを言う監督は世の中にそんないいないと思います。

 

智弁和歌山高校OBで現日本ハムファイターズ西川遥輝選手も、ある特集で本当に監督の事を尊敬していた。

あんなに選手から尊敬される監督はなかなかいないと思います。

 

 

そして高嶋監督と言えば、ベンチでの仁王立ちがトレードマークだが、これは甲子園で初めて勝ったときにずっと立っていたからこのスタイルにしたとか。

 

とにもかくにも、そんな素晴らしい監督が2018年の夏に監督を勇退

監督としての活動は終わったものの、指導自体は続く。

だがもう二度と甲子園での高嶋監督の仁王立ちが見られないのは非常に残念だ。

高嶋監督の引退理由は

情熱はまだあるが、体力的に厳しい。

とのこと。

 

高嶋監督の勇退高校野球界にとって非常に大きなニュースでした。

そして多くの高校野球ファンがびっくりしたと思います。

僕もその一人です。

ですが、高嶋監督にも家族もいるし、なにより健康が大事です。

本当に多くの感動をありがとうございました。

そして監督生活お疲れ様でした!!!