五十嵐が古巣ヤクルトに復帰!!
ソフトバンクの五十嵐選手が今オフをもってヤクルトに移籍することが決まった。
10年ぶりのヤクルトの復帰だ。
そこで五十嵐選手のヤクルト時代の活躍を紹介します。
1998年にヤクルトに入団。
2軍で10試合に登板し、30奪三振を奪う活躍。ファーム日本選手権ではMVPを獲得し、これは高卒ルーキーでは史上初。
99年には、1軍でデビュー。
この年は主に敗戦処理として活躍をしたが、シーズン後半から接戦での登板も増える。この年に150キロオーバーを記録する。
2000年は自身初の開幕1軍入り。
この年はなんと中継ぎだけで、シーズン前半戦で11勝をマークし、自身初のオールスターにも出場する。
しかし後半に指のまめが潰れてしまい、2軍に降格。なんとかシーズン中に復帰するも勝利数が伸びず最多勝のタイトルは獲得できず。しかし古田敦也とともに最優秀バッテリー賞を受賞する。
01年は怪我で悩ませる。キャンプ中に肉離れを発症するもののなんとか開幕1軍に間に合わせる。しかし右肘を痛め2軍に降格。
復帰後41試合に登板し、自身最高の防御率2.59を記録する。
02年には不動の中継ぎとしてチームを牽引。開幕からシーズン終了までを1軍で過ごす。この年は64試合に登板し防御率2.08で全てにおいて最高のシーズンとなった。
03年も昨年に続き1年間1軍を守り続ける。
66試合もの試合に出場しチームにとって必要不可欠の選手になる。
04年はクローザーとして活躍。この年に当時の日本プロ野球最速記録タイにならぶ158キロをマークした。この年は37セーブも記録しヤクルトの球団最多セーブ記録を更新し、最優秀救援賞を受賞する。
05年も再び怪我に悩まされる。この年には49試合に登板するものの3年続いた60試合登板をこの年で止めてしまう。
06年は五十嵐選手にとって大きな1年になる。この年にトミージョン手術という大きな手術を受ける
07年、昨年受けた手術の影響で1年間登板はなく、リハビリに費やした。
08年はリハビリの回もあり完全復活を成し遂げる。
球速も150キロ越えをマークし、球威も完全復活。
09年には21試合連続無失点を記録し、日本球界を代表するピッチャーに成長。
そしてこの年にFAを行使してメジャーに挑戦し、今に至る。
来年40歳になるベテラン。
海外経験も豊富でヤクルトにとって五十嵐選手の加入は間違い無くプラスになる。
秋吉投手がチームを去ってしまったものの、この五十嵐選手が中継ぎクローザーとして活躍をすればヤクルトの優勝も見えてくる。
球界のスター、山田哲人だけではないというヤクルトの底力を来年は期待したい。
ヤクルトで成長した五十嵐選手の、恩返しのシーズンが始まる。