ベースボールブログ

野球の競技人口は年々減っていっています。そこで元高校野球児が野球の基礎や様々な野球情報を発信します。

内海哲也が炭谷の人的補償で西武へ移籍ってマジ??

さきほどニュースをみたら内海哲也選手が西武へ人的補償で西武へ移籍というニュースが流れているのもみました。

ついさっき書いた記事で内海選手の来年の巨人での活躍を期待をかいたばかりなのに・・・

岩隈久志、巨人加入で先発ローテーション争いが激アツ!! - ベースボールブログ

内海選手は36歳のベテランで、坂本選手や長野選手などの後輩選手からはお兄ちゃん的な存在でチームのムードメーカー。

トークも面白く、ファンから愛される選手です。

そんな巨人の精神的支柱、内海選手が移籍なんて・・・・

凄くショックです。

 

そして今回は巨人時代の活躍をまとめます。

2004年に巨人に入団。

1年目は2軍で9勝を挙げ、イースタンリーグ最優秀防御率を獲得。

白星こそつかなかったが、1軍初先発も経験。

2005年は先発ローテーション入りを勝ち取るものの、4月に3勝をあげるが6月以降は1勝もできずシーズンを終わってしまう。

2006年開幕は中継ぎでスタートしたが、高橋尚成の怪我での離脱で先発を代理。6回無失点の好投。その後先発に定着し、初完投・初完封勝利を達成しチームトップの12勝を記録。スライダーの取得が飛躍のカギとなった。

2007年では自身初の開幕投手を任され勝利を挙げる。

この年の内海選手は安定感抜群で自身最多の13勝をあげる。

そして自身初のタイトル最多奪三振を受賞。

2008年は怪我の影響もあり、開幕投手は回避したものの12勝をあげる安定の活躍。

しかし与え四球は68でセ・リーグワースト記録を記録。

2009年は第2回WBCの日本代表に選出。

レギュラーシーズンでは一度は二軍落ちを経験するものの、再昇格後は安定感を取りもどす。9月には4勝をあげ自身初の月間MVPを獲得した。

2010年には巨人の選手会長に就任。開幕前には

200勝と自身の背番号26を永久欠番にすると自身の活躍を宣言した。

しかし11勝は挙げたものの、序盤での失点が目立ち防御率は自身最低の4点台を記録。そのため一時は中継ぎに転向された時期も。

2011年は開幕投手こそ奪われるものの、春先から好調でシーズン18勝をあげ最多勝を受賞。防御率も自身最高の1、70を記録。

2012年、2年ぶりの開幕投手を任せられるものの黒星スタート。

セ・パ交流戦では4勝を記録し球団初の交流戦優勝に貢献しMVPを獲得。

そして一年間安定の活躍をし2年連続の最多勝を受賞した。

しかし、2013年からは厳しいシーズンが続く。

1軍での登板機会はあるものの結果が安定しない。

2013年こそ13勝あげるもののそれからは

7→2→9→2と勝利数が激減。

 

しかし本人のやる気ももちろんあるし、存在感だけでもチームにとってプラスだった。

そんなベテランが巨人を去ることはチームメイトもショックは大きいと思う。

だが、これがプロの世界。

内海選手が西武で活躍できるように巨人ファンの人は応援しましょう!!

そして日本シリーズで西武対巨人が行われることを願いましょう。

西武でも頑張れ!!内海選手!!