千葉ロッテの藤原恭大の伝説が凄すぎる
ある番組でロッテに入団した『藤原恭大』選手について特集されていたのでそれを今回はまとめ・紹介していきます。
藤原選手の代は歴代の大阪桐蔭の中でもトップクラスで4人もの選手がプロになりました。
そんな“スター集団”の中で藤原選手は4番を任され、夏の甲子園では打率.462 3本塁打を記録しました。そして藤原選手は「高校No. 1スラッガー」と呼ばれていました。
この藤原選手について現役のプロ野球選手も高く評価しています。
広島鈴木誠也
「ホームランの打席だったり、自分のスイングが数多くできていた」
オリックス吉田正尚
「プロにいたとしてもトップクラスの身体能力」
楽天則本昂大
「プロで言えばソフトバンクの柳田選手のようになる」
とトッププロの選手も認めるほどの圧倒的な実力を持つ藤原選手。
そんな藤原選手には様々な伝説があり
- 幼児の頃から相撲は最強
- 女の子にモテすぎて逃げ回る
- 小3で飛距離は小6レベル
- 格闘ゲームが最強
これだけ見ても藤原選手の凄さが分かるのだが衝撃的な伝説は他にもあります。
腕相撲不敗神話
藤原選手は今まで“腕相撲”で負けた事がなく、チームメイトで日本ハムの入団した柿木選手は「めちゃくちゃ強いですね。瞬発系でバーンと来て、それでみんなやられてしまう」と話していた。
さらに、藤原選手の中学時代に腕相撲をした、体育教師の青木先生は「正直余裕だろうと思っていたけど、瞬殺された」とコメント。
なんと10歳も年上の先生に勝ってしまったのだ。
しかしそれもそのはず。中学時代から藤原選手は握力が『74キロ』もあったからです。
この『74キロ』というのは片手でリンゴを握りつぶせるほどの握力だ。
足でも敵なし??
藤原選手の持ち味はパワーだけでなく足の速さも兼ね備えている事だ。
50メートルはなんと5秒7。
この俊足からも伝説が生まれています。
中学校3年生の時の部活対抗リレーでアンカーだった藤原選手は、バトンを受けた時には前の走者と半分くらいもの差があったものの、それをトラック1周の間に抜いてしまい、最下位から1位になったとの事。
さらに跳躍力もずば抜けており、中学1年に時の体力測定で行った走り幅跳びではあと少しで“ジュニアオリンピック記録”というくらい飛んだそうです。
まさにリアルスーパーマリオみたいですね。
そんな藤原選手にも弱点が??
ここまで完璧な藤原選手にも弱点があるそうで、それについてチームメイトの柿木選手は「部屋が汚いです。キチンとしているのはバットを振る時だけ」と。
藤原選手は整理整頓が苦手なようです。
さらに藤原選手は友達と遊ぶときは必ず遅刻をするそうです。
しかしこれには一流のこだわりがあって、「素振りをしてから行く」ためだそうです。
友達と遊ぶ時ですら自分がやるべきことをやってから遊ぶ藤原選手。
これについて藤原選手の友人も「やる事をやっているから(甲子園にも)行けて当然なのかなって」と賞賛するほど。
これほどまでにストイックな日々が今の活躍を支えているのかもしれません。
野球部をたったの1日で退部!?
地元中学の野球部の体験入部に参加した藤原選手の球を顧問の先生が受けることになりその様子について顧問の先生は「『ちょっと早いくらいだろうな』と思っていたら、藤原選手が軽く投げた球が凄まじく、あとちょっと取り遅れたら顔に当たっていた」と話していた。
実際藤原選手は中学3年生の時には球速140キロを計測している。
これを受けた顧問の先生は、藤原選手と練習をしたら何人か怪我人が出てしまうと思い、「部活を1日で辞めてくれ」とお願いしたそうです。
藤原選手が余りにも凄すぎて辞めてもらい、強豪クラブの枚方ボーイズ1本で行けと話をしたそうです。
以上は藤原選手の伝説でした。
ですがまだ始まったばかり。
今後藤原選手がプロ野球界にどのような伝説を残すのか楽しみです。
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