ベースボールブログ

野球の競技人口は年々減っていっています。そこで元高校野球児が野球の基礎や様々な野球情報を発信します。

名門PL学園が復活??

かつて誰しもが憧れたPL学園

いくつもの伝説を高校野球界に刻み込んだ。

K・Kコンビや逆転のPL。数々の感動と記録を残したPL学園だが、現在野球部は活動していない。

そんなPL学園が甲子園に返って来るかもしれない。

高校野球としての復活ではなく、マスターズ甲子園での復活だ。

そこで今回はPL学園の残した伝説・マスターズ甲子園出場について紐解いていこう。

 

PL伝説

K・Kコンビ

PL学園を語る上で絶対的に外すことができないのがこのK・Kコンビだ。

これは1年生の夏から3年の夏までPLの主力として活躍した、桑田真澄清原和博の2人を指す通称です。

1年生の夏からレギュラーで出場する選手は多くいるもののこの2人は別格でした。

桑田はエースとして、清原は4番として全国制覇を成し遂げたのだ。

清原は入学当初から別格で、全国トップレベルのPL学園の練習を見て「これなら1年から4番打てるな」と思ったと言うもの伝説の1つ。

それに比べ桑田は入学してすぐ、周りのレベルが高すぎて1度投手を諦めてしまう。

そんな桑田は外野手として練習している時に、当時のコーチがたまたま桑田の外野送球を見て、「コイツは投手として活躍できる」と思いコーチとのこと猛練習が始まった。

先輩も清原が4番を打つことは納得していたが、桑田がベンチに入っただけでブーイングが凄かったそうです。

そんな桑田は大阪の地方予選に先発する事になった時に、先輩から「俺らの夏は終わった」「桑田が俺らを引退させる」といった声が上がったそう。

しかし投げてみると、コーチとの特訓のおかげで甲子園を魅力した凄まじい球をバンバン投げ込んだ。先輩も驚き評価が1試合で変わったそうです。

その試合から桑田はエース級の活躍をみせ、甲子園を制した。

結局3年間で優勝2回・準優勝2回・ベスト4、1回と凄まじい結果を残しました。

 

PL史上最強

PL学園史上最強と呼ばれる世代がある。それはなんとK・Kコンビではない。

それは1987年のPL学園だ。

この年のPL学園はK・Kコンビが成し得なかった春夏連覇を達成している。

さらに野村弘樹(元中日)・橋本清(元読売)・岩崎充宏のトリプルエース「三本の矢」とキャプテンで先日野球殿堂入りを果たした立浪和義(元中日)が在籍し攻守ともにトップレベルのチームでした。

甲子園初戦こそ手こずるものの、後の試合では圧倒。多くの高校野球ファンがこの代のPLが史上最強と呼んでいます。

 

マスターズ甲子園

現在活動を休止しているPL学園野球部だが、今年行われるマスターズ甲子園に出場することが決まった。

マスターズ甲子園とは母校のOBとして再び地方予選から試合を甲子園を目指すという大会だ。

これにPL学園がチームを結成して出場する。

これを決定したのは、PL学園OB会会長の桑田真澄だ。

桑田はPL学園野球部の復活を願いそれの少しでのキッカケになればと言う思いから出場を決定しました。この大会では桑田はエース番号をつけることが決まっており、OBに声を選手が集まれば、もしかしたら史上最強のPL学園ができるかもしれない。

もちろん地方予選からあるため、必ず甲子園に出場できるというものではないが、PL学園が本気を出せばほぼ確実だろう。

 

甲子園のマウンドに桑田が戻ってきたり、あの頃活躍した名選手が甲子園に返ってくるかもしれません。今年のマスターズ甲子園に注目です。

 

読んでいただきありがとうございました。